洗う場面は、なぜ一度きりなのか
第1166話まで読んで書いています
先に結論考察
- 手入れが、この世界では見るものになっているから
- 無いのではなく、一度だけある
- 一度あるので、描かない決まりでは説明がつかない
- しかもその一回は、自分で洗っている場面ではない
- 画面の中の動画として、見るものとして出てくる
- 時間が持ち越されないことの、一部だと読める
一度きり、というところが中身になる
食べる回は数えきれないほどある。 食べ終わったあとを描いた回が、ほとんど出てこない。
洗う場面も、片づける場面も、書きとめでは一度きりになる。
考察/ここまでで言えること
無いのではなく、一回だけある。だから、描かない決まりでもない。
無いのなら、描かないと決めてあると言える。 一度あるので、決まりでは説明がつかなくなる。
その一回が、自分で洗う場面ではない
インターネットコーナーと書かれた場所がある。 事実(第825話) 汚れた絨毯をブラシでこする動画を見ている。
信じられないほどの汚れが…、の字が出る。 汚れた絨毯がみるみるキレイになってくよ…!?、すごいの見ちゃった、で終わる。
考察/もう少し先まで読むと
洗うことは、この回でも見るものとして出てくる。
器は、何度も出てくる
湧いたものを食べるなら、器も要らないのかもしれない。 ただ、器は何度も出てくる。
使ったものが、次の回できれいになっている。 その形が、説明されないまま続いている。
ここから先は推測
取り合いは次の回に残らない。手もとのお金も残らない。受かる瞬間も描かれない。 終わったことが、そろって次の回に渡されていない。
考察/いちばん先まで読むと
手入れが描かれないのは、時間が持ち越されないことの一部だと読める。
洗うことは、前の回と次の回をつなぐ仕事になる。 つなぐ仕事が出てこないぶん、この世界の一日は、食べることと働くことでできているように見える。
まだわかっていないこと
- 一度きりの回で、実際に洗っているのは誰なのか
絵を開いた 事実(第825話) 開いた。インターネットコーナーと書かれた場所で、汚れた絨毯をブラシでこする動画を見ている。信じられないほどの汚れが…、の字が出て、汚れた絨毯がみるみるキレイになってくよ…!?、すごいの見ちゃった、で終わる。自分で洗う場面ではない
- 器が次の回できれいになっている形が、いつから続いているか
数えた 食べる場面が出てくる回は、2020年から2026年まで切れ目なく続く。そのあいだ、洗う場面は書きとめの上で一度きりになる。六年ぶんのあいだが空いているのではなく、はじめから片方だけが描かれていない
- 湧いたものを食べるなら、器が要らないのかどうか
数えた うつわの出てくる再現は、たべもの106件のほとんどに入っている。湧きどころの回でも、うつわに移して食べる形が出る。器が要らない形にはなっていない
この記事の方針
- 「事実」は、絵か公式の投稿で照合できたことだけ。確かめた話数を添えています。
- ファンのあいだで語られているものは「巷の説」、このサイトの読みは「考察」と分けています。
- 根拠の薄い読みは「ここから先は推測」の節に分けています。
- あらすじの再構成と長い引用はしていません。歌詞は一行も載せません。
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忘れたころに、もう一度
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- 90日後
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- なぜ
- 90日のあいだに、本編は30話ほどふえます。 同じ記事でも、そのころには確かめられることが変わっています (記事の頭に、何話まで読んで書いたかが出ています)。
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