キメラは、倒されたあとどうなるのか
第1180話まで読んで書いています
先に結論考察
残らないのか、描かないのかが分かれない
- 前者なら世界の話、後者なら描きかたの話
- 作品の側から一度、正しいのかと問われる
- それでも、終わったあとは語られない
- 重いところでも、同じ切りかたになる
- 墓も碑も名簿も無い。ここには積もらない
討伐は終わる。終わったあと、倒した相手がどうなったのかは描かれない。 相手というのは、巷でキメラとまとめて呼ばれているもののことになる。
持ち帰る場面も、埋める場面も、見送る場面も出てこない。 次の回では、別のことが始まっている。
消えかたが、いつも同じ
この作品には、終わったものを持ち越さない癖がある。
食べ終わった器。買った石。もらったもの。催しの舞台。 どれも、次の回には出てこない。
討伐の相手も、同じ扱いを受けている。
ふつうに読めば、それだけの話だ。 一回ぶんが短いので、後始末まで入らない。
ところが、この場合は重さが違う
そこに、巷の読みが入ってくる。
もとは住人だったのではないか。 巷の説 この読みが、広く語られている。
この読みを取ると、終わったあとに残るはずのものがある。
住人だったなら、知っている者がいる。いなくなったことに気づく者がいる。 探す場面も、悼む場面も、あってよさそうになる。
描かれていないぶんが、そのまま重さだ。
描かれないことが、二つのことを意味しうる
ひとつ。残らない。 この世界では、終わったものが消える。そういう仕組みになっている。
考察/ここまでで言えること
「残らない」と「残らないように描かれている」が、まだ分かれていない。
ひとつ。残らない。 ふたつ。残らないように描かれている。 残っているが、画面に出さないことが選ばれている。
一つめなら、世界の話だ。 二つめなら、描きかたの話だ。 同じ「出てこない」でも、意味がまるで違う。
そして、分ける道はある ── いなくなった者に触れる回が、一つでもあるかどうかになる。 触れる回があれば、残っていることになる。 触れる回が一つも無いなら、世界の側の話に寄る。
作品の側から、一度問われている
この仕事が正しいのかを問う言い回しが、作中で出る回がある。 事実(第761話) とどめの声と、うずまきになった赤い目が同じ回にある。
そして、そこでも終わったあとのことは語られていない。
考察/もう少し先まで読むと
いちばん重いところで、いつもと同じ切りかたをしている。
問いは、作品の側から一度出た。 事実(第761話) それでも、答えも、後始末も来ない。 問いだけが置かれて、場面が進む。
この作品は、礼を言ったところで切れ、謝ったところで切れ、 祝ったところで切れる。どれも軽い場面だった。
ここでは、同じ切りかたがいちばん重い場面に当たっている。 切りかたを変えていない、ということが分かる。
重さで切りかたを変えないことが、この作品のやりかただ。
弔う場面が、この世界に無い
もう少し広げておく。
考察/いちばん先まで読むと
この世界には、いなくなった者を残す形が描かれていない。
弔う場面は、出てこない。 記録する場面も、名前を残す場面も出てこない。墓も、碑も、名簿も見あたらない。
これは、討伐の相手だけの話ではない。 建物に古びたものが無いのと、同じ並びだ。 始まりも、終わりも、この世界には積もらない。
もし本当に残らないのだとしたら、討伐は「倒す」ではなく「消す」になる。 そして、住人だったかどうかという問いも形が変わる ── 住人だったとしても、消えたあとには何も無いことになる。
この読みは、こわい。 こわいので、そのぶん慎重に扱う。 根拠は「描かれていない」だけだ。
この読みの、弱いところ
後始末が出てこない、と言うには、 倒す回のあとを一つずつ当たることになる。
残らないのか、残らないように描かれているのかは、 いなくなった者に触れる回を探すまで分かれない。本文もそう書いている。
まだわかっていないこと
- 倒されたあとどう扱われるのか。討伐の回の次の回を並べて、前の回に触れる場面があるかを見れば決まる。一つも無ければ、切りかたが揃っていることになる
絵を開いた 事実(第289話) 倒したあとの場面を開いた。第289話で、成功だーッ!!、と言ったあと、なんか…大きい討伐、打ちどころが…、悪かったっていうか良かったっていうか…、と続いて終わる。倒したものを運ぶ場面も、片づける場面も、次の回に触れる場面も出てこない
- 弔う場面や記録する場面があるか。墓・碑・名簿にあたるものを絵の中から探せば、有無だけは決まる。無いことを示すには全話を開くことになる
絵を開いた 事実(第1045話) 名簿にあたるものは一つあった。第1045話の、草むしり5級 合格者、の貼り紙だ。ただしこれは受かった者の一覧で、いなくなった者の一覧ではない。墓も碑も、開いた範囲では出てこない。第524話の古い旅館にも、そういうものは置かれていない
- 残らないのか、残らないように描かれているのか。分けるには、いなくなった者に触れる回が一つでもあればよい。触れる回があれば、残っていることになる
絵を開いた 事実(第80話) いなくなった者に触れる回を一つ確かめた。第80話で戻ったうさぎとハチワレについて、そのあとの回に前のことへ触れる場面は出てこない。残らないほうに寄る材料が一つになる
この記事の方針
- 「事実」は、絵か公式の投稿で照合できたことだけ。確かめた話数を添えています。
- ファンのあいだで語られているものは「巷の説」、このサイトの読みは「考察」と分けています。
- 根拠の薄い読みは「ここから先は推測」の節に分けています。
- あらすじの再構成と長い引用はしていません。歌詞は一行も載せません。
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