催しは、どこで終わったことになるのか
第1166話まで読んで書いています
先に結論考察
- 終わりだと言われる場面が、どの催しにも無い
- 片づける場面も描かれない
- 残るのは、覚えている者の側だけになる
- 終わったあとの回が、急に静かになる
- 年をまたいで、また舞台に立つ回はある
- 続いているのに、一つの催しの終わりが無い形になる
終わりかたは、はなやかになる
重なって倒れた四人と、大きなドターンの字が出て、客席から拍手が届く。 事実(第280話) エイエイオーのかけ声が出て、舞台の上の四人の背が描かれる回もある。 事実(第857話)
そのあとの回が、静かになる
草地をひとりで歩き、チャアオという音が立つ。 事実(第854話) 思い出のなかに四人がいる。
考察/ここまでで言えること
終わったことが、はなやかな回ではなく、そのあとの回で効いてくる。
片づける場面が、描かれない
舞台がどうなったのか、集まった者たちがどこへ行ったのかは出てこない。 残るのは、覚えている者の側だけになる。
何が本当だったのかも、その場で問われる
まわりに黄色い音符が浮かび、演出だったのか、という声が出る。 事実(第289話) 緑の者がならんで歌う。
考察/もう少し先まで読むと
起きたことと、見せたことの境が、終わったあとに問われている。
ここから先は推測
続いているなら、次があるはずになる。 終わったなら、終わりだと言われる場面があるはずになる。
どちらも出てこない。出てくるのは、思い出すほうだけになる。
考察/いちばん先まで読むと
終わりを言わないので、催しは思い出の側にだけ残ることになる。
終わったことが次の回へ渡るのは、ものに付いたしるしか、覚えている者の側だけになる。 催しも、そちらへ移される。
まだわかっていないこと
- 催しが終わったあと、舞台がどうなるのか
絵を開いた 事実(第280話) 開いた。重なって倒れた四人と、大きなドターンの字が出て、客席から拍手が届く。片づける場面も、客が帰る場面も、この回には続かない
- 終わったあとの回が、どう置かれているのか
絵を開いた 事実(第854話) 開いた。草地をひとりで歩き、チャアオという音が立ち、思い出のなかに四人がいる。終わったことが、ここで効いてくる形になる。終わったと言う言葉は出てこない
- 催しの中で、何が本当だったのかが分かるかどうか
絵を開いた 事実(第289話) 開いた。まわりに黄色い音符が浮かび、演出だったのか、という声が出て、緑の者がならんで歌う。起きたことと、見せたことの境が、その場で問われている
この記事の方針
- 「事実」は、絵か公式の投稿で照合できたことだけ。確かめた話数を添えています。
- ファンのあいだで語られているものは「巷の説」、このサイトの読みは「考察」と分けています。
- 根拠の薄い読みは「ここから先は推測」の節に分けています。
- あらすじの再構成と長い引用はしていません。歌詞は一行も載せません。
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