名のることは、呼ばれることと何が違うのか
第1166話まで読んで書いています
先に結論考察
- 名のる側は自分から出し、呼ばれる側は先に呼ぶ者がいる
- 名のっても、呼ばれても、その者が何かは出てこない
- 名のる場面は少ない。だからめずらしい行いだと分かる
- 名のるのは、たいてい初めて画面に出る相手になる
- 名のることは、そこにいると示すことに近い
- 呼び名のほうは、決める場面が画面に出ている
二通りの付きかたがある
自分から名を出す形がある。オデダルマ、と名のる回になる。 事実(第892話) どんこでーす、と名のる回もある。 事実(第922話)
いっぽう、呼ぶ側が先にいる形もある。 役や姿から呼ばれるほうになる。
考察/ここまでで言えること
どちらも、その者が何であるかは教えてくれない。
名のっても素性は出てこない。役で呼ばれても中身は出てこない。
呼び名は、決める場面が画面に出る
呼び名という三文字の声が出て、先生のひとことが続く。 事実(第519話) 三つならべて試してから決める形になる。
決めているのは、呼ぶ側になる。
考察/もう少し先まで読むと
呼び名は後から付くものとして、作中で描かれている。
名のるのは、初めて出る相手になる
名のる形が出る回はかたまっている。 三つとも、その回で初めて画面に出る相手が名のる。
名のったあとに、出どころや役が続く場面は無い。 名のりで場面が動いて、そのまま次の話になる。
ここから先は推測
名のることは、呼んでほしいということではない見こみがある。
考察/いちばん先まで読むと
名のることは、そこにいると示すことに近い。
名のったあと、その名で呼ばれる場面がほとんど続かない。 呼ばれるために出した名なら、そのあと使われるはずになる。 使われないので、出した時点で役目が終わっている。
まだわかっていないこと
- 名のる者が、どういう相手なのか
絵を開いた 事実(第892話) 開いた。福と書かれただるまが出て、オデダルマ、と名のる。筆の先がずれていく場面も同じ回にある。名のっているのは、その回で初めて画面に出る相手になる
- 呼び名が決められる場面が、どう描かれるのか
絵を開いた 事実(第519話) 開いた。呼び名という三文字の声が出て、先生のひとことが続く。ならんで立つ黄色い鎧が同じ画面にある。三つならべて試してから決める形になっていて、決めているのは呼ぶ側になる
- 名のったあとに、素性が出てくるのかどうか
数えた 名のる形が出る回は、2024年の第892話・第922話・第925話にかたまっている。三つとも、名のったあとに出どころや役が続く場面は無い。名のりで場面が動いて、そのまま次の話になる
この記事の方針
- 「事実」は、絵か公式の投稿で照合できたことだけ。確かめた話数を添えています。
- ファンのあいだで語られているものは「巷の説」、このサイトの読みは「考察」と分けています。
- 根拠の薄い読みは「ここから先は推測」の節に分けています。
- あらすじの再構成と長い引用はしていません。歌詞は一行も載せません。
お気に入り
この端末のなかに残ります。お気に入りに一覧が出て、 そこから前後の回へも行けます。もう一度押すと取り消せます。
忘れたころに、もう一度
- いま
- 何も起きません。この記事の名前が、この端末のなかに残るだけです。
- 90日後
- トップページに、この記事が一度だけ出ます。出たら記録は消えます。
- なぜ
- 90日のあいだに、本編は30話ほどふえます。 同じ記事でも、そのころには確かめられることが変わっています (記事の頭に、何話まで読んで書いたかが出ています)。
置いたものの一覧は出しません。数も、残りも出しません。 覚えておくのはこちらの仕事なので、置いたことは忘れてかまいません。 この端末から外には出ません。