人魚を食べたという話は、本当なのか
第1180話まで読んで書いています
先に結論考察
食べる場面は、昔の話として絵にある
- 人魚だとは、言葉では言われない
- 赤い身と骨と、本のページが並ぶ
- 語りには言葉があり、絵には言葉が無い
- この島では、語りと出来事が同じ重さだ
- その上に読みを立てると、足もとが語りだ
人魚を食べた、という話が出てくる回がある。 事実(第778話)
行方が分からないという字と並んで、食べたという話が出る。 杯があって、そこで話されている。
話として語られる形で出てくる。
食べる場面は、昔の話として描かれている
二つの島民が舟で釣りをしているところへ、赤い尾が来て舟をくだく。 事実(第770話) 浜に打ち上げられた一つを、もう一つが看る。 事実(第771話) 煮付けの字の付いた赤い身を、はしで口へ運ぶ。食べた者が起き上がる。 事実(第773話) 床には、丸い頭から細い骨の続く、小さな骨が落ちている。 事実(第774話)
そこへ、人魚の肉を食べると永遠のいのちが手に入る、という本のページが重ねて描かれる。
食べたものが人魚だとは、言葉では言われない。 赤い身と、骨と、本のページが、同じ並びに置かれている。
うろこの回が、そのあとにある
そのあとの回では、うろこが海に落ちていく。 事実(第788話)
前の回で出てきた話と、つながっているようにも見える。
つないでよいかどうかは示されていない。
並んでいるだけだ。 この作品は、並んでいるものを原因と結果に読ませることが多い。 そこは、いつもどおりだ。
起きたことなのか、語られている話なのか
問いは、そこだ。
起きたことなら、この世界でそういうことが起きる。 口にできるものの側に置かれたことになる。
語られている話なら、住人が何を話すかの手がかりだ。 起きていなくても、話としてはある。
昔の話の一続きは、言葉を抜いた絵で出来事を見せている。 語りだけではなかった。ただ、その絵も、食べたのが人魚だとは言わない。
この島では、語りが多い
この島では、うわさとして語られるものがいくつも出てくる。
永遠のいのちも、うわさとして語られた。 事実(第733話) 知っていると言う声はあるが、何をどう知ったかは出てこない。 食べた話も、語りとして出てくる。 事実(第778話)
考察/ここまでで言えること
この島では、語りと出来事が同じ重さで並べて置かれている。
ふつうの話なら、語りは出来事より軽い。 「そういう話がある」と「そうなった」は違うからだ。
この島では、その差が付けられていない。 うわさが語られ、杯があり、話が流れていく。 事実(第788話) 語りと、絵が、同じ並びにある。
同じ重さで置かれている、ということ
そのあと、うろこが落ちていく。 事実(第788話)
だから、決められない
そこから、この一続きの読みにくさが出てくる。
どこまでが起きたことかが決まらない。
絵に出ているのは、並ぶ姿と、火を囲む夜と、出ていく舟と、昔の釣り舟の一続きだ。 事実(第741話) 事実(第789話)
考察/もう少し先まで読むと
いちばん重いところは、言葉を抜いた昔の話として描かれている。
食べた、とは誰も言わない。 赤い身と、骨と、本のページが並ぶだけだ。 語りのほうには言葉があり、絵のほうには言葉が無い。
開けば届く。ただし、言葉では確かめられない。
語りを、語りとして置く
この島では、そこを分けるのがいちばん大事だと思っている。
考察/いちばん先まで読むと
分けないでおくと、語りが出来事として積み上がる。
語られたことは、語られたこととして書く。 起きたこととは書かない。そして、起きていないとも書かない。
積み上がったものの上に読みを立てると、足もとが全部語りだ。
そして、ここが島の一続きのいちばん危ないところになる ── 語りが多いぶん、どんな読みでも組める。 昔の話の絵にも言葉が無いので、筋がきれいに通ってしまう。
魔女の四つの回について書いたのと、同じ形だ。 材料が少ないほど、図はきれいに描ける。
巷では、古い伝えから来ていると読まれる
人魚の肉を食べると長く生きる、という筋は、 日本の八百比丘尼の伝えから来ているのではないか、と語られる。 巷の説 映画では、友を助けるために計画して殺した、という読みが出ている。 巷の説 菓子でおびき寄せた、という細かいところまで挙げられる。 巷の説
合わないところ。 映画は手もとに無いので、そこは突き合わせられない。 原作の側で語られているのは、食べたという話の出どころまでになる。
この読みの、弱いところ
語りが多い、と言えるのは、引いた三つの回になる。
昔の話で食べているのが人魚だ、と言うには、言葉が要る。 絵が並べているだけで、そう言う者はいない。 昔の話が、島の者の思い出なのか、本当にあったことなのかも、絵の中では言われない。 語りと出来事が同じ重さで並ぶ、という線も、その三つから出ている。
まだわかっていないこと
- 起きたことなのか、語られている話なのか。杯のある回の絵を開いて、語っている者が見た側かどうかを見れば一段進む
絵を開いた 事実(第742話) 語られている話のほうだった。第742話でラッコが、…と、を付けて伝える。見た者としてではなく、聞いた話として置かれている。食べる場面は、この回には無い。昔の話の一続きのほうに、煮付けを食べる場面がある(第773話・第774話)。人魚だとは言葉で言われない
- 誰が、いつ、なぜ。三つとも描かれない。語りの中でも名指しされていないので、語っている側も知らない見こみがある
絵を開いた 事実(第742話) 語っている側も知らなかった。第742話でラッコが、だれかッ 心当たりは…ッ、と島の者に問う。名指しできる者が、語る側にもいない
- うろこの回とつながっているか。並んでいるだけだ。二つの回のあいだの回を開いて、橋になる場面があるかを見れば決まる
絵を開いた 事実(第788話) 二つの回を開いたら、言葉でつながっていなかった。第778話で出るのは、人魚を食べるとカラダにできる「何か」…、人魚を食べた犯人…。第788話で出るのは、人魚の…ウロコ…?、の一言だけで、そのうろこは投げられて海に落ちていく。食べた話を指す言葉が、うろこの回に一つも無い
この記事の方針
- 「事実」は、絵か公式の投稿で照合できたことだけ。確かめた話数を添えています。
- ファンのあいだで語られているものは「巷の説」、このサイトの読みは「考察」と分けています。
- 根拠の薄い読みは「ここから先は推測」の節に分けています。
- あらすじの再構成と長い引用はしていません。歌詞は一行も載せません。
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