思い出は、ものの側にあるのか
第1166話まで読んで書いています
先に結論考察
- 思い出は、いつもものに付くものとして語られる
- リボンに付き、茶碗に付く。頭の中の話にならない
- 写真のほうは、ものとして残る側になる
- 付くものと、残るものが分かれている
- 傷が付いたことを、思い出がついた、と言い替える回がある
- 覚えていることが、体の外に置かれていると読める
思い出は、いつもものに付く
白い花びんのリボンについて、思い出のリボン、という声が出る。 事実(第296話) 同じ回に、みんなでならぶ写真もある。
語が付いているのはリボンのほうで、写真のほうには付かない。
考察/ここまでで言えること
思い出は、ものに付くものとして語られている。
頭の中の話としては出てこない。
傷を、思い出と言い替える回がある
買ったばかりの茶碗を落とす。 事実(第1151話) 思い出がついた…!!、と言う。
そのあと茶碗を抱えて山道を歩き、最後に、思い出つき茶碗、と字が出る。
考察/もう少し先まで読むと
言い替えているのは、欠けたところのほうになる。
割れたことを嘆く場面にならない。 付いた、という言いかたになる。
写真は、残るものの側にいる
並べて見せ合い、しまい、拾われる。 こちらは、ものそのものになる。
付くものと、残るもの。 二つの扱いが分かれている。
ここから先は推測
この世界では、覚えていることが体の外に置かれている見こみがある。
考察/いちばん先まで読むと
思い出は、持っているものではなく、ものに付いているものになる。
そう読むと、写真が箱の奥へ入ることも、器がいつのまにかきれいになっていることも、 同じ一つのやりかたの中に入る。 持ち越されるのは、時間ではなく、ものに付いたしるしのほうになる。
まだわかっていないこと
- 思い出という語が、どういうものに付くのか
絵を開いた 事実(第296話) 開いた。白い花びんのリボンについて、思い出のリボン、という声が出る。みんなでならぶ写真も同じ回にある。語が付いているのはリボンのほうで、写真のほうには付かない
- 傷が付いたことと、思い出が付いたことが同じなのかどうか
絵を開いた 事実(第1151話) 開いた。買ったばかりの茶碗を落として、思い出がついた…!!、と言う。そのあと茶碗を抱えて山道を歩く。最後に、思い出つき茶碗、と字が出る。言い替えているのは、欠けたところのほうになる
- 頭の中に置かれる形が、どこかにあるかどうか
数えた 思い出という語が画面に出るのは、2021年の第296話から2026年の第1151話まで散っている。出るたびに、何かのものと一緒に出ている。ものの無いところで出る回は挙がらない
この記事の方針
- 「事実」は、絵か公式の投稿で照合できたことだけ。確かめた話数を添えています。
- ファンのあいだで語られているものは「巷の説」、このサイトの読みは「考察」と分けています。
- 根拠の薄い読みは「ここから先は推測」の節に分けています。
- あらすじの再構成と長い引用はしていません。歌詞は一行も載せません。
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- 90日のあいだに、本編は30話ほどふえます。 同じ記事でも、そのころには確かめられることが変わっています (記事の頭に、何話まで読んで書いたかが出ています)。
置いたものの一覧は出しません。数も、残りも出しません。 覚えておくのはこちらの仕事なので、置いたことは忘れてかまいません。 この端末から外には出ません。