名前を語尾に足す言いかたは、誰のものなのか
第1166話まで読んで書いています
先に結論考察
- 読む側に向けた添え書きになっている
- コマの外の余白に、縦書きで小さく添えられている
- コマの中の札でも、看板でもない
- だから、作中の誰かが書いたものとしては描かれていない
- 書いた者を指せないので、本人の言葉づかいとも言えない
- うれしいときと、きびしいときが同じ場面に並ぶ
書かれている場所が、こまの外になる
うれシーサー、きびシーサー、という言いかたが出てくる。 事実(第309話) どちらも、コマの外の余白に縦書きで小さく添えられている。
コマの中の札でも、看板でもない。
考察/ここまでで言えること
作中の誰かが書いたものとしては描かれていない。
だから、書いた者を指せない。
こまの中では、ふだんの言いかたになる
切り株の上のふくろと、紫がのった茶色が出て、さたぱんびんの声が続く。 事実(第308話) こまの中で出るのは、ふだんの言いかたのほうになる。
考察/もう少し先まで読むと
こまの中と外で、言いかたが分かれている。
名前が、気持ちの言葉に溶けている
うれしいときの言いかたと、きびしいときの言いかたが、その場で二つ並ぶ。 どちらも、その人物の呼び名をそのまま使っている。
ほかの人物には、こういう作りの言いかたが出てこない。
ここから先は推測
考察/いちばん先まで読むと
読む側に向けた添え書きだと読める。
余白に書かれたものは、作中の誰にも届かない。 届く先が読む側しか無いので、そこに向けて書かれていることになる。
呼び名が外から付くのと、同じ向きになる。 作中に無いところから、その人物の言いかたが決まっていく。
まだわかっていないこと
- その言いかたが、どこに書かれているのか
絵を開いた 事実(第309話) 開いた。うれシーサー、きびシーサー、はコマの外の余白に縦書きで小さく添えられている。コマの中の札でも、看板でもない。さんぴん茶のひとことは、こまの中に入っている
- 本人がその言いかたをする回があるかどうか
絵を開いた 事実(第308話) 開いた。切り株の上のふくろと、紫がのった茶色が出て、さたぱんびんの声が続く。こまの中で出るのは、ふだんの言いかたになる。語尾に名前を足す形は、この回のこまの中には出てこない
- ほかの人物に、同じ作りの言いかたがあるかどうか
数えた 作者が絵の余白に字を添えた回は、名前を縦書きで置いたものが二つ挙がる。ラッコの回とモモンガの回で、どちらも名前そのものになる。名前を気持ちの言葉に溶かした形は、いまのところ一人だけになる
この記事の方針
- 「事実」は、絵か公式の投稿で照合できたことだけ。確かめた話数を添えています。
- ファンのあいだで語られているものは「巷の説」、このサイトの読みは「考察」と分けています。
- 根拠の薄い読みは「ここから先は推測」の節に分けています。
- あらすじの再構成と長い引用はしていません。歌詞は一行も載せません。
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