作中の歌詞が「ラララ」なのは、なぜか
第1183話まで読んで書いています
先に結論考察
歌う者が、覚えていないと作中で言う
- 作品のほうが先に伏せていて、理由が別だ
- それでも画面に出るものは、ほぼ同じ形だ
- ほかは、理由が出ないまま言葉で描かれる
- 歌だけが逆で、理由は出て言葉が消える
歌う場面は何度も出てくる。それなのに、何と歌っているかは画面に残らない。
ここでも、歌詞は一行も載せていない。 歌は絵とは別の権利で管理されていて、外から決めた30字で切ると、 意味そのものが変わってしまうからだ。 読みにくくなるのを承知で引き受けた縛りだ、と。
絵を開いていったら、そうではなかった。
この作品は、歌の言葉を書かない
第400話。遊技場の筐体に絵が三つ揃うと、大きな口が開いて歌いだす。 絵に描かれているのは、「ラ」のくり返しだけだ。 事実(第400話) ハチワレはそれを聞いて、こう言う。
この曲って…
曲だと分かっている。 分かっているのに、言葉は一つも書かれていない。
同じ描きかたが、いくつもの回にある。 事実(第439話) 夜道で口ずさむ声も、水の中から聞こえる合唱も、 かがり火のまわりで肩をゆらす列も、 文字としては「ラ」か「タ」か「ル」しか置かれていない。
二回、キャラのほうが説明してしまっている
ここが、いちばん驚いたところだ。
第379話。 ハチワレが野の花をマイクにして歌う。 事実(第379話) ラ行がならんだあとに、「ひかり」と「きぼお」の二語だけが混ざる。 そしてこう言う。
歌詞…うろ覚えだけど…
書かれていないのは、覚えていないからだった。 絵の中の文字は、この作品の語り手が記した歌詞ではなく、 歌っている者の頭の中の再生だったことになる。
第180話。 大きなスピーカーの前に住人が集まっている。 事実(第180話) ちいかわとハチワレが並んで口ずさみ、ところどころで言葉だ。 そのあいまに、こう挟まる。
ここの歌詞…むずかしいよね…
歌詞について話している。 歌詞は、この世界でも 「全部は分からないもの」として扱われている。
つまり、伏せるのは方針が先ではなかった
並べると、こうなる。
| 誰が伏せているか | |
|---|---|
| このページ | 権利のことがあるので、載せない |
| 本編 | 歌っている者が覚えていないので、書かれない |
考察/ここまでで言えること
歌詞を伏せているのは、外の縛りだけではない。作品のほうが先に伏せていた。
理由はまったく違う。結果は同じ形になっている。
歌詞を載せないという決めは、作品に押しつけた縛りではなく、 作品がもともとやっていることに、たまたま重なっていた。
歌詞の代わりに何を置くかで、悩まなくてよい。
置けばいいのは、作品と同じものになる。 節の形と、誰が歌っていたかと、 そのとき何が起きたか。
引かない。かわりに、読める場所へ送る
とはいえ、「歌詞が知りたい」で来た人を手ぶらで帰すのは別の話だ。 そこで、こうしている。
- 歌詞は一行も置かない(曲名・作詞・作曲・歌い手・どこで使われたかは書く)
- 正規の歌詞のページへ、一本だけ送る。 送り先は、許諾を受けて 歌詞を載せているところに限る。書き写しただけのページへは送らない
- 歌のデータに、歌詞を入れる欄をそもそも作っていない。 欄が無ければ、うっかり貼ることもできない。ビルドが毎回そこを見る
三つめは、いちばん地味で、いちばん効いている。 決めごとを心がけで守ると、忙しいときに崩れる。形で守れば崩れない。
歌の一覧は、情報のページにある
曲名・作詞・作曲・歌い手・どこで使われたか・歌詞の読める場所。 それを31曲ぶん並べたものが、「うた」の棚にある。出どころは一つのファイルで、画面はそこを読み直している。
これで全部ではない。 歌は絵の中で鳴っているもので、
よく言われている説
「なぜ言葉を書かないのか」について。 巷の説
説1 権利のことを、作者の側も避けている
実在の曲がそのまま歌われる回がいくつもある。 事実(第433話) 言葉をそのまま書けば、絵の中に他人の歌詞を置くことになる。 「ラララ」にしておけば、そこは避けられる。
この説だと説明できないこと。 言葉が書かれている回がある。 合唱曲の一節が、ほとんどそのまま出ている回がある。 事実(第434話) 避けるのが目的なら、そこは徹底されるはずだ。
説2 覚えていないことのほうを描いている
第379話が言っているとおりに読む。 事実(第379話) 歌の中身ではなく、うろ覚えで歌う姿が描きたいものだった、という見かた。
この説だと説明できないこと。 覚えていないはずのない歌も伏せられている。 自分たちで作って、その場で歌っている歌まで ラ行だけで書かれる回がある。 事実(第439話)
説3 音として置いているだけで、意味を持たせていない
ふきだしの中の「ラ」は言葉ではなく、絵の一部だという読み。 黄色く太く描かれていて、読ませるより先に見せている。
この説だと説明できないこと。 聞いた側が反応している。 曲だと分かり、題を言い当て、いっしょに歌いだす。 事実(第848話) 音でしかないなら、そこまで通じない。
説4 読む側に、自分の知っている歌を入れさせている
「ラララ」に置きかえると、読者はそこへ自分の記憶から音を持ちこむ。 実在の曲が混ざっているのは、そのきっかけだ。
この説だと説明できないこと。 曲を知らない読者には何も起きない。 それでも場面は成立している。
この読みの、弱いところ
「ラ」で書かれる回は三つ、歌詞に触れる回は二つを引いている。
歌だけが逆だ、という線は、本文も飛躍に近いと書いている。 四つの説がどれも説明できないことを持つことも、本文に書いてある。
ここから先は推測
この作品は、説明しないことで成り立っている。 その「説明しない」が、歌のところでだけ、かたちを変えているように見える。
ほかのことは、説明されないまま言葉としては描かれる。
考察/もう少し先まで読むと
ほかのことは、理由が出ないまま言葉としては描かれる。歌だけが逆だ。
討伐も、鎧の下も、湧きドコロも、言葉は出てくる。 出てこないのは理由だ。
歌だけが逆になっている。理由は説明されるのに、言葉のほうが消える。 歌の力が弱まる条件は、はっきり言葉にされた。 事実(第756話) その歌が何と歌っていたかは、最後まで書かれない。
これは飛躍に近い。 「ラララ」で描くのは漫画のふつうの書きかただ。
それでも、うろ覚えだと本人が二度言っているのは、 ふつうの書きかたの範囲を少し出ている。
これは飛躍だ。 「ラララ」で描くのは漫画のふつうの書きかたで、 この作品に限ったことではない。意味を読みすぎている。
まだわかっていないこと
- 歌の言葉を伏せる描きかたが決めごとなのか。言葉が書かれている回もある。徹底されていないので、方針というより場面ごとの扱いに見える
絵を開いた 事実(第869話) 五つの回を開いたが、分かれ目が出なかった。言葉が付くのは、第541話(画面にならぶ字)・第786話(島民の呼び声)・第869話(舞台の歌)。置きかわるのは第379話・第180話で、どちらも、うろ覚えだ、むずかしい、と本人が言う。歌い手の種類でも、場所でも分かれない。決めごとではなく、場面ごとの扱いに見える
- 「ラララ」の下に書かれていない言葉があるのか。うろ覚えだと本人が言う回があるので、少なくともその回では本人の中にも無い 事実(第379話)
うろ覚えだと本人が言う回がある。少なくともその回では、本人の中にも言葉が無い
絵を開いた 事実(第379話) 本人の中にも無い回が、はっきり一つあった。第379話で、歌ったあとに、歌詞がうろ覚えだ、と本人が言う。第180話では歌いながら、ここはむずかしい、と言う。置きかえられているものが、外から伏せられたのか、その場で出てこなかったのかを、この二話だけは作中が答えている
- 前置きと後始末が付く回と、付かない回の差。付く回は数えるほどしかなく、歌の種類でも場所でも分かれない
絵を開いた 事実(第405話) 歌の出る回を開いて、前置きと後始末のある回を書き出した。出てきたのは六つ ── 第379話(歌詞がうろ覚えだけど)、第180話(ここの歌詞むずかしいよネ)、第405話(あ、今の歌? 最近おぼえた)、第390話(しかしさっきの歌…歌ってただけ)、第848話(「歌」だッ!!)、第142話(ずっと聴いてたら楽しくなってきた)。ほかの回は、歌がただ鳴っているか、歌っているところだけが描かれる
この記事の方針
- 「事実」は、絵か公式の投稿で照合できたことだけ。確かめた話数を添えています。
- ファンのあいだで語られているものは「巷の説」、このサイトの読みは「考察」と分けています。
- 根拠の薄い読みは「ここから先は推測」の節に分けています。
- あらすじの再構成と長い引用はしていません。歌詞は一行も載せません。
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