考察 / まだわかっていないこと
オデと名のるものは、何として描かれているのか
名のる場面があります。自分でそう言う。名のるという行いが、この作品ではめずらしいことです。 名前が出てこない住人が多いなかで、自分から名を告げる者がいる。
分かっていないのは、それが名前なのか、種類なのか、そのときだけの言いかたなのかです。同じ言いかたをする者がほかにいるのかも出てきていません。
もうひとつあります。名のったからといって、何であるかが分かったわけではありません。 どこから来たのか、ふだんどこにいるのか、ほかの住人とどういう関わりなのか。呼び名だけが先に渡って、素性は渡されていません。
この置きかたは、名前が出ない者たちと裏返しの関係にあります。片方は呼び名が無くて素性が見え、もう片方は呼び名があって素性が見えません。どちらの場合も、呼び名は素性を教えてくれません。
第911話を開きました(2026-09-20)。名のるのは「オデダルマ」で、福と書かれただるまになっています。目を入れてもらう回で、筆がずれて「ずれちゃったッ」、修正液を塗り重ねて「できた」で終わります。素性に触れる言葉は、この回に一つも出てきません。 名のりがあって、その名のりが何にもつながりません。そこはここでも続きます。
この問いが立つ回
この問いの方針
ここには答えを書きません。作中で説明されていないことを、 説明されていないまま置いています。 語られている説を並べて比べているのは考察のほうです。